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榎本恵牧師のコラム

2017/11/20

あなたの未来には希望があると、主は言われる。    エレミヤ31:17


「希望」。昨今の政治をめぐるドタバタ劇を思う時、この大切な言葉がなんだか安っぽいものに思えてしょうがない。風が吹けば膨らみ、風がやめばしぼんでしまう、そんな移ろいやすいものが果たして国の将来を決する希望なのだろうか。希望が野望に変わり、野望はついに絶望へと変わり果てる。それは、希望などではなく、欲深き人間のはかない願望にしか過ぎないのではないか。

では、本当の希望とは一体何なのだろうか。

「この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種を蒔かない。」これは、宗教改革者マルティン・ルターの言葉である。今からちょうど500年前、贖宥状を売りさばき、「お金が、チャリンと音を立てるや否や、魂が飛び立つ」などと喧伝してまで、献金を集めようとするカトリック教会に対し、彼は「贖宥の文章によって自らの救いが確実になると信じる人がいたら、その人はそれを教える教師とともに永遠に断罪されるであろう(「95箇条の提題32」)と毅然と否を唱えた。今から考えれば至極真っ当な考えなのだが、当時の絶対権力者ローマ・カトリックにとっては、彼は許しがたい教会の破壊者であり、破門し、その存在を抹殺すべき危険人物であったのだ。しかし、ルターはどんな圧力にも屈せず、決してひるむことなく自説を曲げなかった。そしてそれは、次々とプロテスト(抗議)する教会を生み出し、全世界に広がり、今私たちのプロテスタント教会となったのだ。そして2017年の今、500年の時を超え、カトリック教会とルター派の教会では和解の礼拝が共同でなされようとしている。一体誰が、こんな日が来ることを想像し得たであろう。しかし、ルターただ一人はきっと、それを希望していたに違いない。

ルターの語る、「この世を動かす力・希望」とは、絶対的正しさ、神の義による希望であり、その約束を信じるが故の絶望の中の希望であり、暗闇の中の一条の光なのである。「いつまでも残るものそれは、信仰と希望と愛である」(Ⅰコリント13:13)と使徒パウロが言ったように、それは決して変わらず、廃れず、無に帰さない。迫り来る目の前の大火に、「大丈夫、大丈夫」と叫ぶ楽観主義者の呑気な声でもなければ、ただ「平安、平安」と口にする人気取りの安易な気休めの言葉でもない。

旧約聖書には、かつてイスラエルが、大国の侵略によって国を失い、母たちが子供達の死に嘆き悲しんでいる時、ひとりの預言者が神の言葉を語ったことが記されている。「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰ってくる。あなたの未来には希望がある」(エレミヤ31:16ー17)と。これこそが本当の希望なのだ。悲しみの只中にあるものが、その苦しみの報われる日のあることを見出し、種を蒔く農夫が、何も生えていない黒々とした大地の中に、青々と育つ収穫の日を見る。はるかかなたを歩き続ける旅人が、まだ見ぬ終着地を思い描き、一歩一歩その歩みを進め、どんな悲惨な迫害の中にあっても、「全ての口が主を賛美する」栄光の日を信じる。これこそが、本当の「この世を動かす力・希望」なのだ。

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