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榎本恵牧師のコラム

2016/11/14

いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ   ルカ2;14


この時期になると、どこもかしこもイルミネーションの煌びやかな光がさんざめく。冬の暗い夜空には、イルミネーションの光がよく似合う。ところで、このイルミネーションの由来をご存知だろうか。なんとそれは、宗教改革者マルティンルターにあるというのだから驚きだ。「イルミネーションの起源は16世紀にさかのぼり、宗教改革で知られるドイツのマルティンルターが考えたと言われる。彼は夜、森の中で煌く星を見て感動し、木の枝に多くのロウソクを飾ることでその景色を再現しようとした。」(ウキペディア「イルミネーション」より)どうやら、木に吊るしたロウソクのせいで、火事になることも多かったらしいというが、もし今、ルターが、流行りの「神戸ルミナリエ」のイルミネーションを見たら、どう思うだろう。「もう一度宗教改革せねば」と、 96番目の質問状を私たちに突きつけるかもしれない。そんなことを想像しながら、僕は街灯の光さえうすぼんやりとしている小道を星空を見上げながら歩いている。

来年2017年は、ルターの宗教改革から500年の記念の年。罪の赦しのために贖宥状を売りさばき、金銭を儲けていた当時の腐敗したカトリック教会に対し、ルターの掲げた「95条の提題」は、次のような激烈な言葉によって閉じられている。「94.キリスト教徒に勧めなければならないのは、彼らの頭であるキリストに罰、死そして地獄を通ってでも懸命に従おうとすること、95. したがってまた、安全な平安によってよりも、むしろ多くの苦しみを経てこそ神の国に入るのだと信じることである。」(95条の提題)ルターは、当時のカトリック教会から、大きな迫害を受ける。異端として断罪され、命までも狙われた。しかし彼は、決して自説を曲げることなく、まさに罰、死、地獄を通ってもキリストに従い、苦しみを甘んじて受け入れたのだ。

そんなルターの見たクリスマスの煌く星とは、一体どんな星だったのだろう。楽しく愉快な仲間たちと一緒に眺めるイルミネーションも素敵なものに違いない。恋人同士で、くぐり抜けるイルミネーションの明かりも、ロマンチックなものだろう。けれども、本当の星の光は、孤独の中で、苦難の最中に、それでもなお希望はあるのだと、私たちを励ましてくれるそんな光なのではないか。

クリスマスの夜、皆が静かに寝ている時に、働かなければならなかった羊飼いたちに、その光は現れた。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ 」(ルカ2;14)クリスマス、おめでとう。

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