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榎本恵牧師のコラム

2018/11/05

平和をつくりだす人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。   マタイ5:9(口語訳)


「米軍と農民」という一冊の本がある。沖縄伊江島で、米軍基地の撤去運動を忍耐強く非暴力で闘ってきた阿波根昌鴻さんが書いたたたかいの記録だ。戦後すぐに米軍は、伊江島の土地の半分以上を取り上げ、そこに米軍の演習場を造ろうとした。農民たちの土地を半ば強制的に取り上げ、戦争の多大な犠牲を払い、ようやく平和が訪れると暮らし始めた島民たちを、虫けらのように追い出した。それは「銃剣とブルドーザー」と表されるほどの苛烈なものであった。

そのような状況の中で、阿波根さんたち伊江島の農民たちは非暴力をもって対抗し、沖縄中を、日本中に、そして世界中へ、その米軍の非道を訴え、自らの命を賭して、声を上げ続けた。それは、いつしか大きなうねりとなり、多くの人々の共感を生み、アメリカを、日本政府を動かし、ついには、それまで島の半分以上が米軍基地にされていたのを3割にまで減らすことになったのだ。しかし話は、そう簡単ではない。ここまでの道のりは大変厳しく、それは今もまだ続く。平和への道は険しく辛い。強大な権力に対し、物申していくことは大変な覚悟がなければできない。実際、最初米軍の横暴を訴えに、行政府、教会、お寺、学校を訪ねた阿波根さんに、それらの人々は冷たかった。後に、彼はその著書に中でこう述懐している。

「米軍から任命された琉球政府の主席が、『私が土地問題は解決するから、政党や民主団体には問題がこじれてむつかしくなるから頼むな』といったとき、それを信じて一任しました。それでは解決ができないと知ったとき、立法院、アメリカ人のカトリック教会、沖縄人教会、お寺、学校その他偉い人といわれるところにはどこへでも出かけて助けてくださいとお願いしました。どこでも満足のいく答えはありません。そのとき私たちは初めて考えました。お寺はお経を読んで葬式をするところであったのか、教会は讃美歌を歌って説教をするところなのか、学校は字を教えるところであったのかと。」(「米軍と農民 あとがき」より)

今牧師の一人として、この阿波根さんの文章を読むとき、心が痛い。果たして私は、「平和をつくりだす人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9口語訳)という言葉を、現実のものとしているか。それとも、それを歌ったり、語ったりするだけのものとなっていないか。自問自答する。教会は政治に対して中立でなければならないとか、牧師は福音を語るべきであり、政治の良し悪しを語るのではないというようなことを聞くことがある。確かに、様々な立場、考えの違う人々が集う教会では、そのことは慎重になさなければならないのであろう。しかし、それでも、私は教会はただ「讃美歌を歌って説教をする」だけのところではなく、「平和をつくりだす神の子と呼ばれるもの」の集いであると信じている。

ところで、伊江島には「団結道場」という阿波根さんたち農民が、米軍とのたたかいの中で、学び、話し合いをし、集まった建物がある。実はもう随分と年月が経ち、老朽化したため、今改修工事を進めているのだ。私もその改修工事のための募金の呼びかけ人の一人にさせてもらっている。実は、米軍基地と対峙するように建てられたこの建物の壁4面に、農民のたたかいを支援してくれた人の名前が記されている。800名に余る、その名前の中には、後に自民党代議士になり「ハマコー」と愛称で呼ばれた浜田幸一氏の名がある。そうかと思うと生涯を戦争撲滅に捧げたむのたけじ氏の名が、また初代の沖縄の公選行政主席となる屋良朝苗氏の名が、そして詩人として名高い坂村真民氏の名前もある。そしてなんと、後に日本基督教団議長として「戦争責任告白」を公に表した鈴木正久牧師、そして「首里キリスト教会」中里朝章牧師の名前もあるではないか。

そこには、少なからずクリスチャンの名前が刻まれ、仏教徒の名前も、学生、主婦の名も刻まれている。「平和をつくりだすもの」は決していないのではない。教会もお寺も、学校も、そこには「神の子と呼ばれるもの」が必ずいるのだ。

宗教が政治的に中立を守るということは、決して政治的発言をしないといった安易なものではない。まして政治に無関心といった無責任でもない。この世の権力に対してみ言葉に立って生きていくことである。 (榎本保郎「旧約聖書一日一章」より)

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