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榎本恵牧師のコラム

2019/07/01

火の後に静かにささやく声があった。   列王上19:12


アイヌ民族の挨拶の言葉「イランカラプテ」には、「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味があるそうだ。なんとも美しい響きである。人間関係であっても国際関係であっても、相手の心に、平気で土足で踏み込むようなことは、最も嫌われることだ。「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味が、たとえアイヌ語の誤訳であったとしても、そうありたいと願い訳されたアイヌの人々の気持ちを想う時、充分に伝わってくるものがある。

外国から来た賓客に、朝からゴルフ、相撲観戦に居酒屋と過剰とも思えるほどの、趣向を凝らしたもてなしをする。はたして相手は、どう受け止め、感じられたかは知らないが、私たちの、もてなしはいつもこの「イランカラプテ」の精神でありたいものだ。

さて、私たちの信じる神も、この心にそっと触れてくる神である。旧約聖書の預言者エリヤに、語りかける主は、大声で叫び、身振り手振りで激しく語る方ではなかった。アハブ王の妻イザベラの不興を買い、その命を狙われ、荒野へと逃げ、彷徨い続けるエリヤの前に、「主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」(列王上19:11ー12)と聖書は語る。追っ手を逃れ、荒野に身を隠し、ついには、自分の命の絶えることを願い祈るエリヤに対して、主は、静かにそして「そっと心に触れる」様に語られるのだ。しかし、そこで語られる神の言葉は、決して甘い優しい言葉ではなかった。そうではなく、逆に、エリヤに対し、大変厳しいものであったのだ。「あなたの来た道を引き返せ」(列王上19:15)それは最も過酷な命令であったのだ。しかも、そこで、新しい王と自らの後継者に油を注ぐようにと神は命じる。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています」(列王19:14)と泣き言を呟き、、苦しい胸の内を吐露したエリヤにとって、恐ろしい結末を想像するに充分のものであっただろう。しかし、神は、そんな彼にこう告げるのだ。「しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった」(列王上19:18)と。決して、あなたは一人ではない、神は必ず、同じ思いのものを残してくださる。

「イランカラプテ(あなたの心にそっと触れさせていただきます)」というアイヌ語もまた、それはただのもてなしの言葉ではない。その言葉をもって、私たちに触れてくるものは、決して甘く優しいだけのものではない。アイヌ民族の生きてきた歴史、今も続く差別と偏見、搾取と抑圧。それらは皆、私たち日本人へ向かうのだ。知らなかったこと、知らねばならないこと、それらの事が「あなたの心にそっと触れさせていただきます」と迫ってくる。

神が、エリヤに「あなたは、ここで何をしているのか」と静かにささやかれたように、「イランカラプテ」との言葉をもってアイヌの人々も、私たちに「そこで何をしているのか」とそっと触れてくるのだ。私たちも、その逃げていた道を引き返そう。必ずそこには同じ想いのものが残されていることを信じて。

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