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榎本恵牧師のコラム

2018/08/31

マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。   ルカ10:41ー42


今週もまた、あの5歳の女の子に叱られる。「どっこいしょ」の意味は何?、「どうしてみどり色の信号を青と言うの?」、「人間に右利きが多いのはなぜ?」「どうしてプールに入ると目が赤くなるの?」などなど。どうでもいいようなことだけど、ちょっと答えを聞いてみたいなと思わせる質問の数々。傍若無人の女の子(らしい?)と回答者の当意即妙なやりとりも面白く、最後は、答えに窮したり、トンチンカンな答えをする回答者に、5歳児のチコちゃんが顔を真っ赤にし、湯気を上げつつ言い放つ。「ぼーっと生きてんじゃねーよ」。

これだけでも大笑いなのだが、答えを教えてくれるそれぞれの専門家の先生も、その人選が見事なのか、誰もが飄々として、楽しげに答えを教えてくれるものだから、余計興味をそそる。ちなみに「緑の信号を青信号」と言うのは、日本で最初に信号機が設置されたニュースを報じた新聞が「赤、青、黄色」と書いてしまったからだそうな。ただし日本では古来から緑色のものを「青」と言っていたそうで、確かに緑色の野菜ジュースを、青汁と呼んだりする。どうでも良いといえばどうでも良いことだけれど、いつも感心している。まあ、いずれにせよ、土曜日の朝は、チコちゃんの「ぼーっと生きてんじゃねーよ」の一言を心待ちにしている今日このごろなのだ。

しかし、よく考えてみれば、今の日本の国の中で、本当にぼーっと生きている人はいないのではないか。皆それぞれ時間に追われ、忙しく生きている。たまの休みも、移動するだけで大変で、「田舎でのんびりしよう」などとは夢のまた夢、帰る頃にはヘトヘトに疲れきってしまっている。サラリーマンも主婦も、定年退職を迎えた中高年たちも、皆「空気を読め」、「仕事はいつもホウレンソウ(報告連絡相談)」、「気遣いと心配りを大切に」と、追い立てられていく。もう息つく暇もないほどに、私たちは毎日を生きている。「働き方改革」とはいうものの、誰もそれが、本当に今の自分たちの生活にゆとりを与えてくれるものだとは信じていないのではないか。「ぼーっと生きてんじゃないよ」ではなく、「ぼーっと生きさせてくれよ」と言いたいのが、私たちの本音かもしれない。

もちろん、私たちは、ただ物思いにふけながら仙人のように暮らしていくことなどできない。日本人の習性、勤勉であることは、間違いなく素晴らしいものなのだろう。けれどもその美徳のかげで、私たちが一つ忘れていることがあることを思い出さないだろうか。忙しくしている中で、ふと我に帰った時に、またそばにいる暇にしている人に嫉妬と軽蔑の入り混じった眼差しを向ける時に。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」(ルカ10:41ー42)。イエスを家に迎え入れたマリアとマルタの姉妹。姉のマルタは懸命にイエス一行をもてなそうと忙しく立ち働いている。ところが、妹のマリアの方はというと、イエスの足元を離れず、じっとその話を聞いていたのだ。もてなしのことで頭がいっぱいのマルタはとうとうイエスに訴える。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃてください」(ルカ10:40)と。その時の答えが、この「マルタよ、マルタよ」と呼び掛けられたイエスの言葉であった。本当に大事なこととは何なのか。必要なたった一つのこととはどれなのか。忙しさの中で、見失っていることがある。全てに気を配りながら、忘れていることがある。「ぼーっと生きること」それはただ時間を無駄に過ごすことではない。それでは本当にチコちゃんに叱られてしまう。しかし、私たちはそのぼーっとしている時にこそ、必要なただ一つのことを聴いていかねばならないのだ。その手を止めて、その口を閉じて、静かに心のうちに聞いてみよう。

そう、その時響いてくる言葉が確かにあるのだから。

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