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榎本恵牧師のコラム

2022/02/28

知恵は自分の家を建てるが、愚かさはその手でこれを壊す。   箴言14:1(フランシスコ会訳)


聖書は、いわゆる古代の文書であり、それをそのまま、今の時代に適応させることはできない。もちろん、中には頑なにそれを譲ることのできない真理とし、死守しようとする向きもあるが、特に、ジェンダーフリーが求められる現代社会にとっては、聖書は、もう時代遅れの性差別に溢れた代物に過ぎないと思われてもおかしくない。

今回の聖書箇所も、実は新共同訳、新改訳聖書ともに「知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれをこわす」、「知恵ある女は家を建て、愚かな女は自分の手でこれを壊す。」と訳す。これは、どう弁解しようとも偏見に満ちた言葉ではないだろうか。唯一カトリックのフランシスコ会聖書研究所だけがこれを「知恵は自分の家を建てるが、愚かさはその手でこれを壊す」と訳している。脚注にも、「ヘブライ語本は、「知恵ある女たち」となっているが、「女たち」を省いた」と丁寧に説明する。確かに、どう考えても、知恵のある賢い女が、家を建て、家庭を築き、愚かな女が、それを壊すなどという言葉は、もってのほかだろう。男であろうと、女であろうと、知恵あることと家を建てることとは全く関係ない。ましてや女の愚かさが家庭を壊すなどという言葉は看過できないものだ。

流石に、まずいと思ったのか、フランシスコ会の翻訳は、女という言葉を外している。もちろんこれも、言葉を変えることによって、自分達を肯定することにはならないが、ただ、聖書にそう書いてあるからと思考停止するのではなく、そのことによって、思いを深めていくことは大事なことである。

ところで、今、私たちが住んでいる家は、ちょうど100年前に建てられた。また、昨年、アシュラムセンターが「シメオン黙想の家」として使い始めた建物も、90年前のものである。ともにヴォーリズ設計事務所で建てられた古い洋館だ。ただ両方とも手付かずのまま、放置されボロボロになっていた。しかし、手を加え、修理を施すと、見事に美しくよみがえった。今では、この貴重な建物を目当てに、多くの見学者が訪れてくれる。最近ではマスコミにも取り上げられることも多くなってきた。来る人は、皆この建物を称賛してくれるのだが、ただ異口同音「これを維持するのは大変でしょう」と言う。もちろんそこで、寄付の一つでもと言ってくれるとありがたいのだが、私は、いつもこう答えるようにしている。「ええ、大変ですよ。けれども45億年前に創られたものに比べれば、100年なんて短い短い」と。

私たち人類の歴史は、あらゆるものを壊しては再生することを開発と呼び、成長と発展こそが、善であるとしてきた。、しかし、そんな私たちの姿は、果たしてこの家を建てる知恵あるものの姿なのだろうか。昨今叫ばれているSDGs(持続可能な開発目標)の掛け声も、新たなビジネスチャンスとしてしか捉えることができないとしたなら、その誇らしげに胸につけているバッジも、それはもう目も当てられない愚かな姿になってしまいかねない。

この神から預かった家、この地球という家を愛し、持続可能なものとして守るためには、女であれ、男であれ、誰であれまず、本当の知恵の初めである神の前にへりくだり、神を畏れることを知らねばならない。「知恵は自分の家を建てるが、愚かさはその手でこれを壊す」(箴言14:1)。私は、今、テレビの画面に映る、真っ赤に燃え、爆撃の音の響くキエフの街を見つめながら、それをこそ思う。  

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