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榎本恵牧師のコラム

2018/10/01

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。    Ⅰテサロニケ5:16


もう随分前になるが、石川洋先生から次のような話を聞いたことがある。先生がまだ一燈園の同人であったころ、研修で訪れたある会社でのできごとである。先生は、お客様に笑顔を向けることの大切さを話されたのだが、一人の女子社員が、手を挙げ「笑顔の大切なことはわかりますが、作り笑いはかえって良くないのではないでしょうか。」と言ったのだそうだ。一瞬、会場の空気が張り詰め静まり返ったその時、先生は一言彼女にこう答えたという。「たとえ作り笑いでも、続けていけば本物になる。」

確かに、体調の悪い時もあるだろう、悲しみに打ちひしがれている時もある。いくら仕事とはいえ、いつも笑顔でいることなど、喜怒哀楽の感情を持つ人間にはできるはずがない。結局仕事上の笑顔は、愛想笑いや作り笑いにすぎないのではないか。笑顔の大切さは、わかってはいるけれど営業用の笑いは、それこそ偽善なのではないか。私たちは口には出さないけれども、多かれ少なかれそんな思いを持っているのかもしれない。けれども、いや、だからこそこの偽物の笑顔でも続けて行くことなのだ。何千回も、何万回も、昨日も、今日も、明日も、明後日も。悲しみの時も、怒りの時も、失意の時も、泣きながら、怒りながら、途方に暮れながら、笑顔を続けて行く。もうそのことを続けているということさえ忘れるほどに。その時、その笑顔は本物になる。それが「続けていけば本物になる。」という世界なのではないか。

聖書は、キリスト者のこの世での生き方の基本として「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16)と勧める。「続けていけば本物になる」と言われた石川先生の言葉を思い起こしながら、あらめてこのみ言葉を読む時、新しい気づきが与えられた。パウロはただ「喜べ、祈れ、感謝せよ」と言うのではない。それらの言葉に、「いつも、絶えず、すべての事に」と付け加えるのだ。確かに、人間は喜べる時に喜び、祈りたい時に祈り、感謝したい時に感謝する。それが、人間の自然の姿なのだろう。けれどもパウロはそうではなく、「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝せよ」と命ずるのだ。そのことのできない時にこそ、それを行えと言うのだ。この手紙が書かれたのは、おそらく紀元50年ごろであろうと言われている。ローマ皇帝ネロによる、キリスト教徒の大迫害が目前に迫る中、パウロは信徒たちに向かってこの教えを語ったのだ。喜びなどどこにあるのかと思える時に、祈りなどなんの役にたとうかと口ごもる時に、そしてどこにも感謝のことなど見出せぬ時に、「喜べ、祈れ、感謝せよ」と言う。しかしそれは、ただ人間の努力だけでは続けられない。パウロはこれらの勧告のあと続けてこう言う。「これこそキリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:18)と。「キリスト・イエスにおいて」とは、すなわちキリスト・イエスの内にあって、キリスト・イエスと共に、キリスト・イエスの恵みによって、それはなされるという事なのだ。私の力や努力ではなく、まさに内におられるキリスト・イエスの姿を見上げ続けていく時、喜びは、祈りは、感謝は本物になるに違いない。


笑顔で挨拶を交わし
小さなことにもよろこび
嘘を言わず
悪口も言わず
全てのことに感謝し
人のしあわせを祈る
一月一日の気持ちを
皆がみんな
十二月三十一日まで持ち続けていられたら
美しい国になる
(星野富弘 花の詩画集『速さのちがう時計』より)

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