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榎本恵牧師のコラム

2019/12/02

イスラエルの人々は、その数を増し 海の砂のようになり 量ることも、数えることもできなくなる。    ホセア2:1


まだ沖縄にいる頃、私は「耕人塾」という学習塾を開いていた。 慣れない畑仕事で体を壊し伏していた私のことを見かねた近所の方が、自分の子供たちの勉強を教えてほしいと言ってきてくれたのだ。この申し出は、生活に困窮していた私たちにとって大変な助けとなった。最初は自転車で2、3人の子供たちの家に教えに行っていたのだが、そのうちお母さんたちが、部屋を見つけてきてくださり、そこに机をならべ学習塾を始めた。その後も子供たちが増え、ついには自宅と塾を建てるまでになったのだ。

ところが、そうなってくると人間はおかしくなってくる。最初20人ほどの生徒が入ってきても、途中で何人もが辞めたり、ほかの塾へ移ったりすると、気が気でしょうがない。そうなると授業どころではなくなり、また辞めるのではないかとか、生徒募集がうまくいかないのはどうしてか、などと思い悩み始める。いつのまにか最初の頃の感動と感謝は消えうせ、ついには生徒の顔が一万円札に見えてきてしまうという情けない状態になってくる。どうにも困り果ててしまい、ある日、私は塾経営の先輩で、沖縄でナンバーワンの学習塾をやっているKさんのもとを訪ね、相談にのってもらった。生徒が次々辞めていくこと、経営がうまくいかず、子供たちの顔がお札に見えるまで落ち込んでしまっていること、私は正直に話した。すると彼は、今にも泣き出しそうな私を見ながら、こともなげにこう言ったのだ。「簡単だよ、榎本君。数えられないくらい生徒に来てもらえればいいんだよ」。

拍子抜けするようなその解答に、私は唖然としながらも、妙に納得したことを覚えている。確かに、目の前にいる生徒の数ばかり数えて、1人入った、2人やめたと一喜一憂しているのは、目の前の現実だけを追い、その先にある数えきれないものの存在を見ない者の姿だ。そこには、明るさのかけらもなく、ただ暗い。そしてその暗さが知らないうちに生徒たちにも影響する。その繰り返しをどこかで断ち切らなければ、私たちはいつまでも数の力を恐れ、数に支配されてしまう。

今、キリスト教会の現状はとても厳しい。牧師たちは会えばいつも、少子高齢化による、会員数の減少や献金の落ち込み、無牧の教会の話題ばかりだ。そんな中では「この町には、わたしの民が大勢いる」(使徒18:10)などという言葉はついぞ聞いたことがない。「教会員の数が減り、献金が少なくなりどうしたら良いのか」という切実な悩みに、「数えられないほど来てもらえばいいんだ」などと答えたなら、きっと「寝言は寝て言え」と怒りを買うのがオチだろう。

教会の統廃合や共同牧会の必要性、若者向けのイベントの企画、献金のさらなる呼びかけなど激論が交わされ、統計や人工知能が弾き出した深刻な未来予想に皆一様に眉間にシワを寄せている。そんなところでは、エビデンスのない、あてにもならぬ言葉など、気休めの能天気なものとしか映らないのだろう。

けれども、私たちクリスチャンが、この世にあって伝えなければならないのは、その何の保証もない希望であり、楽観過ぎるほどの楽観主義なのではなかろうか。神は、この現実の世にあってなお「私の民が大勢いる」と今も語り、「その数を増し 海の砂のようになり 量ることも、数えることもできなくなる。」と約束されるのだ。確かに、私たちの現実は厳しい。ついついあるものだけを数え、その少なさを嘆き、どうすれば良いかと頭を悩ますばかりである。そうなるといつしか頭は下を向き、暗い顔になってくる。そしてその牧師の暗い顔を見た数少ない信徒たちは余計に暗くなって、教会を離れてしまう、そんな悪循環を繰り返えす前に、上を向き、数えられないほどの人の待っていることを、その大勢いる神の民の来る日を信じて、神の希望を語ろうではないか。明るく楽しくその与えられた業を成していこうではないか。私たちが本当に信じ、数えなければならないのは、この神の約束なのだ。

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