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榎本恵牧師のコラム

2020/08/28

銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜すなら   箴言2:4


「かんじんなことは、目に見えないんだよ」(サン=テグジュペリ作「星の王子様」内藤 濯訳)。他にも「いちばんたいせつなことは、目に見えない」(河野万里子訳)など、きっと多くの方がこの言葉をどこかで聞いたことがあるでしょう。
サン=テグジュペリの「星の王子さま」の一節です。砂漠に不時着した「ぼく」と自分の住む小さな星を出て、あちこちの星を廻り、地球に落ちてきた「王子さま」。この物語には、箴言と同じように「メタファ(隠喩)」や「マーシャル(格言)」が溢れています。王子様が、自分の星に咲く一本の花と別れてから、訪ね回った星に住む人たち、「王さま」「うぬぼれ男」「呑み助」「実業家」「点燈夫」「地理学者」これらの大人たちとの出会いと別れ、地球で出会ったキツネとの不思議な会話、そして故郷の星と同じ、美しい薔薇の花たち。それらが一体何を意味するのか、そして王子さまは結局、何を探しているのか。この絵本が、多くの大人から支持されているのは、この中に、私たちがいつの間にか忘れてしまっている大事なものが、隠されているからに違いありません。

箴言は、こう語ります。「銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜すなら、あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう」(箴言2:4-5)と。「それ」を尋ね、「それ」を捜す。この「それ」こそが大切なのです。箴言は、その「それ」を言葉、戒め、知恵と英知、分別だと言います。なんだかわかったようで、分かりにくいものですが、サン=テグジュペリの「星の王子さま」には、その答えがあると、私は思っています。王子さまがあちこちの星を尋ね、捜しにきたものは、目には見えない、心でしか見つけることのできない、本当の友達でした。「王さま」の権力や「うぬぼれ男」の感心、「呑み助」の忘却、「実業家」の金勘定、「点燈夫」の勤勉、そして「地理学者」の独善でもない、「その美しいところは、目には見えない」友だったのです。

さて、この目には見えない、心で見つける友のことを、近江聖人と言われる中江藤樹はこう書いています。「朋友とは互いに『信』をもって相交わる道とする。信とは、嘘いつわりを言わず、義理に遭った徳のことである。友達との付き合いでは『心友』『面友』の区別、情義の親疎(人情と義理の点で親しいか疎遠か)の程度など、様々な要素があるが、せんじつめると信の道を根本としている。」(中江藤樹「翁問答」より)月が二つあるという、現実ではあり得ない「朋友」を、しかし、私たちは信じるという心の目で尋ね、捜すのです。銀を求めるように、宝物を捜すように。それは、きっとFacebookの友達申請やインターネットのマッチングアプリでは、決して見つからないでしょう。けれども、私たちが心の目を開いて、尋ね、捜す時、思いがけず、本当にすぐ近くにそれが見つかるのかもしれません。なぜならそれは私たちのすぐそばに、私たちの心のうちにあるからです。

「what a friend we have in Jesus」有名な讃美歌「いつくしみ深きともなるイエスは」の原文です。「なんという友だろう、私たちがイエスのうちに持っているそれは!」とでも訳しましょうか。そうなのです、私たちが「銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜」し、「かんじんなことは、目に見えない」ものとは、この「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」と言われた主イエスのことに他ならないのです。この友を見つけることこそが、銀であり、宝なのです。

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」(サン=テグジュペリ作「星の王子様」内藤 濯訳)。

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