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榎本恵牧師のコラム

2019/03/04

私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。    Ⅰコリント3:6


3月23日は、アメリカにいる孫娘、春の一年目の誕生日。時々、送られてくる彼女の動画に、私たち夫婦はいつも釘付けになっている。今の時代は、便利なもので、こんなに遠くに離れていても、すぐそばで、笑ったり、飲んだり食べたりする彼女の屈託のない姿を見ることはできる。しかし、やはりそれは画面を通してのもの、この手で触れたり、あやしたりはできない。お互いはるか海を越えた遠い世界、昼夜逆転の世界にいるのだからなかなか会いに行くこともままならない。(実は私は、3月の中旬にはニューヨークで彼らと再会しているのだが)

そんな春の誕生日に何を送ろうか考えている中で、ふと一つの歌が思い浮かんだ。「春への手紙」。1993年に放映されたテレビドラマ「家栽の人」の主題歌、大貫妙子さんの歌う素敵な歌だ。

「冬空にかかるrainbow/風は運んでくる/あなたとつないだ手の/甘いぬくもり/ただそばにいるだけで/しあわせだったのに/「好きだ」とは最後まで/口にしなかった」


こんな言葉で歌いだされる「春への手紙」について、大貫妙子さん自身はこう書いている。「tbs系ドラマ『家栽の人』の主題歌として書いた曲です。たくさんのドラマが放映される中、家庭裁判所を舞台にしたこのドラマは、一見地味に見えて、しかし、ふだんわたしたちが知ることのない、何かが起きてしまう過程を丁寧に取り上げようとするドラマでした。『家庭裁判所は失敗した人を処分するためにあるわけじゃない。失敗した人を少しでもよくしてあげる、そう言う場所なんです。』と語る判事役の片岡鶴太郎さんの存在が、とても印象的でした。」

もうお気付きの方もおられるだろうと思うが、この「家栽の人」の「栽」の字は、いわゆる中が「衣」の「裁」ではなく、花や木を栽培する「栽」の字が使われている。主人公、片岡鶴太郎演じる桑田判事は、植物を愛し、毎回そのエピソードに植物の物語を織り込む。少年犯罪、離婚調停、遺産相続、そんな難しい問題をただ杓子定規に裁くのではなく、小さな種に水をやり、雑草を取り、肥料を入れ育てていくように解決する。こんな裁判官がいたなら、さぞかしいいだろうな、と興奮しながらも、どうせこれはドラマの世界なのだからと呟く自分がいる。

昨今のこの国の子供達をめぐる事件を聞くたびに心が痛むのは私だけではないだろう。幼い子供が両親から虐待され死に至る。若い女子大学生が、ネットで知り合った未ず知らずの男性を訪ね、無残に殺害されてしまう。中学生の集団暴行事件やいじめによる自殺など、社会の闇は深い。もちろんそこには、家庭環境の問題や、学校現場の劣化、ネット社会の蔓延、児童相談所や教育委員会といった教育や福祉現場の疲弊など、あげ出せばきりがない。しかし、そこには、「育てる」という根本的な問題が横たわっているように、私は思っている。子供は、所有物や対象物ではない。生きている人間そのものなのだ。育てる者は決して傲慢になってはならない。子供は、あなたのものでもなければ、観察すべき対象物ではない。生きた命そのものなのだ。

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリント3:6)「育てる」とは、確かに誰かが植え、誰かが水をやるものなのだろう。けれども水はやりすぎれば、根は枯れるし、植え方が浅いと茎は倒れ、深すぎれば芽は出ない。なんとも育てるということは難しい。しかし、どれ一つ失敗はないのだ。何度も何度もやり直しながら、私たちは、本当に育ててくださるのは神であることに気づくのだ。その繰り返しこそが、「育てる」ということなのだと私は信じている。

さて、大貫妙子さんの「春への手紙」の最後の歌詞が、とても美しい。

「春へと贈る/手紙は今も/ピリオドをうてずにいるから/あなたと生きている」

育てる人は、いつも決してピリオドを打たない。そしていつも私たちとともにいてくださる。春ちゃん、また会おうね。

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