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榎本恵牧師のコラム

2018/11/30

わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。   ヨハネ14:13


フランスの昔話にこんなものがある。ある日、貧しい農夫婦のもとに女神様が現れ、「なんでもお前たちの好きな願いをかなえてあげよう。ただしそれは3つだけだよ」と言ったそうな。2人は、大喜びして、何を願おうかと一晩思案した。けれどもなかなか名案が浮かんでこない。なんせ3つだけだから。そうこうするうちに夜は開け、奥さんは朝ご飯の支度を始める。鍋を火にかけながら、ふと思わず、「長ーいソーセージでもあったらなー」とつぶやいた。すると突然、天から長い大きなソーセージが落ちてきた。それを見た夫は大きな声でこう言った。「なんてこった。この大事な願いを無駄にしやがって。こんなソーセージはお前の鼻にくっついてしまえ」。するとたちまちソーセージは奥さんの鼻にくっついてぶらりと垂れ下がっているではないか。あわてて「このソーセージをとっておくれ」と叫んだ奥さんの鼻からはソーセージがポロリと落ちて、3つの願いはこれで全てかなったそうな。おしまい。

なんとも笑うに笑えない話だがしかし、私たちの願い事などというものも、案外このソーセージと変わらぬものなのではないだろうか。年の瀬も近づくと、やれ7億だ、10億だと喧しい。宝くじに夢を託し、願をかけて長い行列に並ぶ姿は、今や冬の風物詩となっている。けれどもちょっと待ってほしい。あなたの願いはなんなのか。もしかして宝くじに当たることが、夢で、願いなのではないか。ましてや、その宝くじが当たったとしても、その使い道が、この間捕まったどこかの自動車会社の社長さんと同じようなら、それはソーセージとなんら変わらない。そんなものはゴーンと鐘の音とともに消え去ってしまうだろう。

聖書の中で、イエスは、「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」(ヨハネ14:13)と言う。しかも、繰り返し繰り返し言うのだ。ただしこの「何でも」と言う言葉は、なかなか厄介な代物なのではなかろうか。「ほんとうになんでもかなえてくれるのだろうか」、「私は、神様に願ったけど聞かれた試しがない」、「それがほんとうだったら、宝くじを買う必要もないわ」と、そんな声が聞こえてきそうだ。

確かにそうだろう。なんでも願い事がかなうのがキリスト教なら、今頃教会の前は宝くじ売り場のように大行列になっているに違いない。では、このイエスの言葉は信じるに値しないまゆつばモノなのか。寝言は寝て言えと吐き捨てられてしまうものなのか。実は、私はそうではないと思っている。「なんでもかなえてあげよう」というイエスの言葉の前にある「私の名によって願う」ということこそが大事なのだ。イエスキリストの名によって、私が何を願うのか、それを吟味しなければならない。もしそれが鼻にくっついてしまうようなソーセージや不正な高額の報酬、世界中の一等地にある別荘やプライベートジェットならば、それらは決してイエスの名にはふさわしくないだろう。それは「こうして、父は子によって栄光をお受けになる」(ヨハネ14:13)ものでなければならない。神にこそ栄光を帰すること、これこそが私たちの願いであり望みとならなければならないのだ。

桜美林大学の創設者、清水安三先生は、まさにこの神にのみ栄光を帰し、イエスキリストのみ名によって願い、その願いを実現してきた人であると思う。先生のお書きになった自伝「石ころの生涯」には、誤解を恐れず言うとすれば、先生がどうやってこの学園を造るためのお金を集めたかということに尽きる。ある時は、生徒たちの労作を販売し、それで資金を集めようとして、そのことが当時勤めていた大学の学長の知れるところとなり、「君は教育者にあらず、商売人だ」と学校を辞めさせられる。またある時は、リュクサックに自著を詰め、さながら天秤棒を担いだ近江商人のようにあちこちの教会を売り歩く。期待していたアメリカの大学からは寄付をもらえないどころか、自分たちの大学の名を使うなとまで言われてしまう。その失敗談の数々は読む者を飽きさせない。けれどもその中で終始一貫していることは、この業が、決して自分の名誉や欲のためではなく、ただ神の名のために、そして栄光は全て神にという姿勢が貫かれていることなのだ。どんな失敗も、困難も、絶体絶命の時も、不思議な神の導きによって、全ての願いが叶えられる。それが、桜美林大学の創設と清水安三先生の証しである。「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」( ヨハネ14:13)、この言葉は確かに真実である。

さて、あなたは今年の締めくくりに何を願うのか、何を望むのか。どうか、そのことをもう一度ゆっくりと吟味し、今年のクリスマスプレゼントの「ウイッシュリスト」を書き直そう。

神の御子の御降誕、おめでとう。世界が平和でありますように。

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