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榎本恵牧師のコラム

2017/05/15

落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。   イザヤ7:4


このコラムが、ホームページに掲載される頃、アメリカの原子力空母はどこの海にいるのだろう。北朝鮮のミサイルは、核実験は行われていないだろうか。似た者同士にしか思えない2人の権力者が、お互いに武器で威嚇しあい、あれよあれよという間に、東アジアは一触即発の危機を迎えている。かたや、自分の国に届くような武器を持つことは許さないと自分がそれを持っていることは棚上げにし怒り狂い、もう片方は、自分が権力者としてその地位を保つためには、他のものなど御構い無しに突き進む。盛んに情報が流されるが、私たちには、どちらにも大義を見いだせず、ただただ被害が自分たちに及ばないようにと祈るばかり。実際ミサイルが飛んできた場合には、警告音がなり、地下や頑丈な建物に避難するようにと指示されても、正直、たった数分で到達するというミサイルになすすべもないのではというのが真実なところなのではないか。毎日のニュースを前に、ただオロオロとしながらも、まさかそんな大変なことは起こるまいという根拠のない安心にすがる平和ボケした私たちの姿がそこにはある。
もちろんいたずらに危機を煽ることはもっと危険なことだ。しかし、かつて同じように経済制裁を受け、石油の禁輸措置に根をあげ「窮鼠猫を噛む」と、まるで無謀な先制攻撃をした私たちの国と、それを待ってましたとばかり、戦争に突入していった彼の国を知るものとしては、「レッドライン」という言葉や「悪い平和より良い戦争」などという言葉を聞く度に恐ろしい気持ちになってくる。 ところで、旧約聖書には何度も戦争の話が出てくる。神によって選ばれたイスラエルの歴史は、しかし近隣国との間の戦争と侵略、滅亡と再建の歴史であるといっても過言ではないだろう。紀元前730年のころ、南ユダ王国の首都エルサレムが、北イスラエルとアラム(シリア)の軍隊によって攻めてこられようとした。聖書はその時の様子を的確な表現でこのように書く。「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れる動くように動揺した。』(イザヤ7:2)。
しかし、この状況の中で、イザヤと言う預言者が神の言葉を語っている。それが冒頭にあげてある「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」(イザヤ7:4)なのだ。分裂したとはいえ、自分の兄弟の国である北イスラエル王国が、隣国とともに攻めてくる、これはどう考えても国家存亡の大変な危機に違いない。長年エルサレムの城壁の内で平和に暮らしていた彼らにとって、その知らせは風に揺らぐ木々のように不安と恐れを引き起こすものであった。そこで語られた神の託宣は、なんと頼りなく弱々しいものに響いたことだろう。実際、王はイザヤの言うことに耳を貸さず、大国のアッシリヤやエジプトの力を借りて問題を可決しようとするが、このことが結局のちに北イスラエル、南ユダともに滅亡していく序曲となってしまう。
さて今、この国では、まことしやかに戦争の危機を煽るような報道が垂れ流され、小学校の生徒にまで、ミサイルへの備えを訴えるチラシが持たされるという。この時代の中で果たして私たちは、イザヤのように語れるだろうか。
「今日も、わたしを 主のための 手足としてください。ああ、父なる聖霊ーすべてを贖う神よ:あなたの子らが倒れたら 抱き上げ、如何に彼らが希望をなくし、誤った方向にさ迷うとも 身を誤った者たちを、完き道に導こうと切望し:あなたの忍耐深い呼びかけを嘲る者たちに対しても、彼らを愛して、怖れと罪の奴隷から 喜んで従う子供たちと なることを 切望します。主よ、あなたのみが ご存知です。かれら各々の心が収穫に向けて熟成するときを、そして完全に降伏した人間の手が あなたのために 新生を待つ霊魂に届く時を:ああ そのとき、かれらを引き上げ、導き、そして愛するように あなたが わたしを あなたの手、足、唇としてください。」(1941年12月2日ヴォーリズ詩集「東と西」より)
この詩は、かつての日本の真珠湾攻撃の日1941年12月8日のわずか一週間前に近江兄弟社の創始者ヴォーリズが書いた詩だ。自分の母国と今住むこの国(この年ヴォーリズは正式に日本国籍を取得する)が抜き差しならぬ状態になり、自身もスパイと疑われ、その育ててきた事業も、学校も離れ、軽井沢に半ば幽閉されようとしている時、彼は「今日も、わたしを主のための手足ととしてください」と祈ったのだ。手足を自由に動かすことも、唇で思いの丈を話すことも禁じられた彼は、しかし昨日も、今日も、明日も祈った。
困難を前にして、静かにすることも、落ち着くことも、私たちはなかなかできない。言われれば言われるほど、反対に心臓は動悸を激しく打ち始め、手足は止めどなく震える。けれどもその時にこそ、祈るのだ。どうか、自分を神の`手足としてくださるようにと、平和の道具にしてくださるようにと。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」(イザヤ30:15)

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